「犬乃湯」店主のひとりごと

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ブログ移行のおしらせ。

少し気分を変えて、アメブロに移行しました。

犬乃湯店主のひとりごとΣ

ここは消滅までおそらく放置かと。では。
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# by inunoyu | 2011-02-25 12:48 | お知らせ

別に本気じゃありません。

二回ほど大相撲について書きましたが、店主はいつものごとく本気で怒っても心配もしていません。

相撲協会が自滅の道を歩もうと、そもそも大相撲なんて無くなったってちっとも困りません。

ただ、けちをつけて遊んでいるだけです。

今回、案の定と言うかなんというか、放送中止が決った後、
「大相撲中継を待ち望んでいるのは自分の意見を声高に言わない昔からのファンのお年寄りたちである。
NHKは、そういうお年寄りの『声なき声』をもっと忖度するべきである」という意見を言う人がいました。

まぁ、わからなくはありませんが、意見とは表明しなければないのと一緒という言い方もできますし。

そもそも、なぜお年寄りは意見を表明しないと言えるのか。中には年をとっても新聞に毎日のように
投書をする人もいるばず。

加齢による能力の低下で意見の表明ができないなら、その“持っている”意見自体が怪しいという可能性もあります。

ただ相撲が昔から好きで、いつもやっているのに今回放送がなくて淋しい。
というお年寄りの感情が果たして“忖度”するに値する意見と言えるのか。

少し厳しいようですが、そういうアプローチからの反論に対抗できなければ、上記の意見はただの感情論です。

まぁ、NHKの本音は、どっちをとれば受信料の支払拒否が少ないか。

今回は、大好きな相撲の放送がないのはけしからんと言って支払いを拒否するのはどうも分が悪い。

問題は放送の再開時でしょう。

これでNHKは、相撲協会が抜本的な改革に着手して、文科省やマスコミがそれを支持し、
世論も歓迎するという流れが生まれるまでは放送の再開ができなくなったとも言えます。

名古屋場所の頃と状況はなんの変化もないのに、なぜ放送が再開されたのかと聞かれて、
「放送を望む声が多くなったから」だけではもう済まないでしょう。

まだまだ面白そうです、この問題。

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# by inunoyu | 2010-07-09 12:52

「まわし組」の小賢しさ

相撲協会の、力士出身の理事を「まわし組」というらしい。

防衛省の「制服組」あたりからの拝借なんでしょうね。

そいつらが、元魁傑の放駒親方を理事長代行に推したらしい。

あまりの現状認識のお粗末さに失笑した。

あくまでも、彼らの頭の中では、「このままでは、角界が役人(が送り込む部外者)にいいようにされてしまう」
というのが危惧されているに過ぎないというわけ。

もはや世論が、
相撲を日本の伝統文化として存続させるには、外部の人間による冷静で公平な視点からの改革に拠らざるを得ない、
という段階にあるという認識の欠如。

しかし、この認識には、
行政が日本の伝統文化としての「大相撲」を切り捨てられないという認識はしっかり内包されているのが小賢しいところ。

お前ら役人は、結局は俺達無しでは大相撲の維持継承はできないぞという事実はちゃんと押さえている。

この、「日本の伝統文化」を担っている以上、文科省は相撲協会の「公益法人」格を剥奪して、
プロレスと同じように会社組織で勝手にやれと言えるわけなどないとわかっている。

しかし、世論が、相撲がそれとして維持できるなら、運営組織が「まわし組」であるか否かは問わないという側にある以上、

彼らの抵抗は国民の支持を得られないのは明白。

ことは、大相撲をどうするかであり、相撲協会をどうするかではないのである。


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# by inunoyu | 2010-07-05 12:07

今回の問題にファンは不在~大相撲野球賭博問題

大相撲についても書いておきます。

ツィッターで書いていたのですが、あちらは半分営業が噛んでいるので、つい自主規制してしまいます。

この問題の根本は、相撲とは何かということよりも、「相撲協会」とは何かということに行き着きます。

よく、大相撲はファンの信頼を裏切ったという表現を見聞きしますが、そもそも、そのファンという人達は、
大相撲の何を信頼していたと言うのでしょう。

大相撲の前身は、神社仏閣の門前で行われた“見世物”興業です。的屋や香具師の類と変わりません。

当然、賭博ややくざとの付き合いが付き纏います。

そこからは、“ファン”=ひいき筋という図式は導けても、“信頼”というファクターは導かれません。

では、マスコミがよく使う、今回大相撲が裏切ったと言われる、ファンの信頼とは何で、どこから来たのか。

まず、“何か”というのはわかるでしょう。つまり、「クリーンさ」ということ。

しかし、今回の問題で裏切られた信頼は、「競技としてのクリーンさ」ではありません。

角界の体質としてのクリーンさということになります。

では、この「角界の信頼」の根拠は何だったのか。

それは、大相撲を維持管理する「財団法人日本相撲協会」が持つ、「公益法人」という資格です。

財団法人の設立趣旨を謳う、日本相撲協会の寄付行為の第3条には、その目的として、
「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」とあります。

もってその目的をして、監督官庁である文科省から“公益に資する法人”であるとの認定を受け、
法人税・所得税その他の優遇を受けているわけです。

もともと、興業主として香具師と変わらない相撲協会が、相撲を「国技」と自称し、相撲の語尾に「道」なんて付けて、
日本の伝統的文化という“公益”を守る、高尚で崇高な団体でございます。なんていって、
税金を掠め始めたことから生じた問題に他なりません。

そろそろ見えてきました。この問題の本質。

角界の内部は以前の的屋や香具師のころと何も変わっていないのに、
外面だけ公益を担う紳士面をして税金逃れをしていたつけが回って来たというところでしょう。

ですから、この「信頼」とは、厳密にはファンのものではありません。

ファンは、別に面白い相撲を見せてもらえば、おすもうさんの私生活のちょっとした「賭け事」なんてどうでもいいはず。

逆に、真っ当なとこになんていられない性分だから相撲取りやってるんだくらいのほうがいいくらい。

むしろ、その体質を“面の皮”に合わせて欲しいのは、
その面の皮に紳士としての認定を与えた文科省を筆頭とした「行政」です。

それと、相撲協会がその面の皮を付けてきたからこそ付き合っている、優等生のNHK。

つまり、この問題、日本相撲協会と、文科省をはじめとする行政との駆け引きに過ぎません。

文科省としては、相撲が日本の伝統的な文化としてその重要性を認識し、だからこそその維持管理と引き換えに公益法人としての認定とそれに伴う優遇を認めてきたのです。

しかし、その相手である相撲協会が、未だにかつての香具師の類と変わらぬ体質を有していて、
行政が認めて優遇されてきた税金が、下手をしたらやくざに流れていた可能性すらあるかもしれない。それはまずい。

今回の問題を奇貨として、相撲協会を行政がコントロールできる、健全で透明性の高い財団として再構築したい。

それが真相。

所詮、真っ当な世の中からはみ出して、「おすもうさん」だけやってきた親方衆が、
文科省の繰り出す有識者の論理的攻撃に叶うはずも無く。

最後に、行政と一緒に相撲協会にけしからんと怒っているひと。

相撲協会が、本来はそんなやくざな団体だったにもかかわらず、
公益法人なのをいいことに税の優遇措置を受けていたということに対する怒りならいいですが。

どうなんでしょうねぇ。

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# by inunoyu | 2010-06-30 12:42

あなたのサッカー、終わりましたか?

さて、サッカー終わったようです。本当はまだ終わってませんが、
ほとんどの日本人のサッカーは終わりでしょう。

つまり、サッカーに限らず、世界的大会で日本がどうであるかが注目されていただけです。

この図式はオリンピックでも顕著ですよね。特に冬季など。

リュージュでもボブスレーでもカーリングでも、その大会のときだけ、それをやっている日本人を注目する。

その大会と大会の間は全く無視。

要は、感情移入できて他人と一体“感”を共有できてカタルシスを得られれば何でもよし。

しかも、そういう姿勢をマスコミが煽る。

いえ、煽るどころか、はなから先導し、誘導する。

世間のペテンにかからないためには、まずマスコミの報道を疑ってかかること。

こういう大会があるたびに肝に銘じてます。

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# by inunoyu | 2010-06-30 11:02

孤独と孤独感

と、いうわけで、

本当は“繋がって”なんかいないのに、繋がって“いる”と思わせるものは、

「人と人は、本来常に繋がっていなければならない」という第一次的ペテンにかかった人に

「ほーら、あなたは誰とも繋がっていませんよ、孤独ですよ、淋しいですよ」という二次的ペテンを施し、

「さぁ、このアイテムで世界の“みんな”と繋がりましょう。」と買わされた「装置」に他なりません。

別に、その「装置」自体は単なる装置です。装置そのものにペテンなど内包はしていません。

(しかし店主は、いつの日かその装置の画面やスピーカーが、『あなたは、もう〇〇時間この装置を使用していません。それではあなたは孤独で淋しい人となってしまいます。さぁ、今すぐこのサービスで楽しい時間を始めましょう』なんてガイドされる日はそう遠くないと確信しています。)

まぁ、それはいいとして、実際こういう装置によって孤独を埋めている人は増えているのでしょう。

しかし、それは、「孤独」と「孤独感」の単なる混同です。

埋まったと感じるのは、孤独感の「感」であって、孤独本体ではありません。

ちょうど、サッカーのワールドカップを見て、「一体感」を得るのと一緒。

人と人が、決して「一体」になどなれないのと一緒で、

孤独も、それを克服できるのは孤独感のみです。

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# by inunoyu | 2010-06-28 22:17

勘違いさせる装置

繰返します。

一人である、すなわち、孤独であるという状況が自然なんです。

その状態を、さもあってはならない、良くない状況だと焚きつけるのが世間のペテン。

ひとりでいるのは孤独ですよ、淋しいですよ。

さぁ、心を開いてみんなの仲間に入っていきましょう。

そうすれば、悩みや苦しみなんて忘れて、面白可笑しく暮らしていけるんですよ。

完全に、「本末転倒」。

人は、いつも“独り”だからこそ、独りでない時が楽しいのです。

いつも“独りでない”から独りが淋しいのではありません。

独りであるという“フラット”な状態が、

独りではいけないという世間のペテンによって“マイナス”に格下げされて、

みんなで仲良くらんらんらん♪が“フラット”に置き換えられている。

その結果売られているのが、

「独りではない」と勘違いさせる装置達。

それらの「装置」で、今人は“繋がっている”と思わされていますが、

文字通り“思わされている”だけ。

もう一度言います。

人は、基本的に“繋がって”などいません。

だから、“繋がり”が尊いのです。


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# by inunoyu | 2010-06-27 22:21

孤独の恐怖の正体

孤独を生きるとは、

人の“スタンダード”が“孤独”なんだという意味です。

人は、孤独が当たり前で、常にそれと隣りあわせなのだという自覚を持つ。

そういう自覚のない人は、孤独でなかったときをスタンダードだと誤解しています。

あぁ、あの時はみんながいて楽しかった。それなのに今は・・・という捉え方。

違います、人間、“一人きり”がフラットなんです。

だから、孤独を恐怖してむやみにつまらない関係をやたらに増やす必要もなければ、

孤立怖さに今の気に染まない関係を無理をして維持する必要などないのです。

ここまで言えばもうそろそろお解かりでしょうか。

そう、孤独の恐怖とは、世間のペテンとイコールです。

続きます。


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# by inunoyu | 2010-06-26 22:37

無縁社会の「問題」

前回は、ちょっと脱線。

「孤独を生きる」ということは、人の「縁」というものを軽んじてよいという意味ではありません。

とは前回確かに書きましたが、「孤独に生きている」人がやたらめったら結んでいる「縁」まですべて重んじよ、

という意味では決してありません。

孤独を生きるという自覚の前では“縁”など無力だという認識のある上で、

それでも結ばれる“縁”なら意味があると言っているだけでして。

今言われている「無縁社会」の“縁”とは、間違いなく「孤独に生きている」人の“縁”です。

孤独に生きたくないから縁を結びたいのに、その縁を結ぶ術すらが無い。

それが無縁社会という概念が提示する「問題」です。

しかし、その「問題」は、「孤独に生きている」という現状の不安、その一点から生じているものであって、

「孤独を生きる」という自覚からは、上記の問題は絶対に生じません。

おいおい、孤独を一生生きろってか。何淋しいこと言ってるんだよ、なんて思った方、
店主に言わせればそれこそが認識の錯誤。

「孤独を生きる」自覚があるからこそ、「孤独に生きる」ことが淋しくないのだということに気づけない。

まだ続きます。

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# by inunoyu | 2010-06-22 22:32

縁の違い

孤独を生きている、という自覚があれば、
孤独に生きているかどうかがあまり関係なくなります。

つまり、「孤独に生きる」ことを恐れていない人は、それに気づいているのでしょう。

それを裏返せば、

孤独に生きることを恐れる人は、人の本質である孤独を理解できていない人ということになります。

しかし、ここでもまた誤解のないよう補足しますが、
「孤独を生きる」ということは、人の「縁」というものを軽んじてよいという意味ではありません。

というより、孤独を生きているからこそ、その中で生まれた“縁”が意味を持ちます。

前回、心中してもそれは死ぬ時が一緒なだけだと書きましたが、

心中とは、そんなことが判っていてやるものだと思います。

そんなことは重々判っていて、そんな“孤独を生きる”者どうしが、

孤独を生きる者どうしの中で結んだ“縁”を断ち切れずにするものなのでしょう。

孤独を生きているということを知っている者の“縁”と、孤独に生きることしか知らぬ者の“縁”とは

自ずから違います。








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# by inunoyu | 2010-06-21 22:47

“に”と“を”の違い

孤独死とか、無縁社会とか言いますが、元々、人とは“孤独”な存在です。

根源的にそうです。生まれるときも死ぬときも。

双子は一緒に生まれてくるし、心中すれば一緒に死ねるじゃないかなんていう低レベルの揚げ足取りはなし。

それらはあくまで生死の時間が同じなだけ。独生・独死は人の本質。

それを言うなら、人に限らず生き物は皆そうだろ、というのも認識不足。

人以外の生物に“孤独”や“生死”という概念は理解できません。

というわけで、人は始まりと終わりがそうなんですから、その間も孤独なわけです。

“無縁”だと“孤独”なので(正しくは孤独を意識してしまうので)、人は“縁”を作ろうとします。

“縁”をこさえてそれに囲まれていれば、“孤独”を感じずに済むからです。

ただ、それは本質である“孤独”を意識から追い出しているだけで、本質である孤独が解消されたわけではありません。

というか、“孤独である”という本質は、いくら“縁”に囲まれても解消など出来ないんです。

なので、“縁”などというものは、人の本質たる“孤独”の前では無力です。

その意味で、人は、“孤独に生きる”のではなく、“孤独を生きる”わけです。

続きます。

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# by inunoyu | 2010-06-18 12:24

明らめて再構築する

諦めを明らめと読み替えて、絶望を分解して認識に構築し直す。

諦めちゃ駄目だ。というペテンは、明らめるという反対呪文で霧消します。

そう、1回“諦める”んです。

それで、“諦めちゃ駄目だ”というペテンを無効化します。

病気でも貧乏でも不合格でもリストラでも引きこもりでも、

その事実を事実として認めて1回“諦める”。

もう、そうなってしまったんですから。そうでない事実はないんです。

なぜそうなってしまったのか、何が悪かったのか、

そんな反省などせずに、なってしまったものはなってしまったのだからと諦める。

そしてそれを認める。それが、諦めではなく明らめ。

それが、“明らめましょう”という意味です。

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# by inunoyu | 2010-06-15 22:30

あきらめましょう

病気も貧乏も、そうなってしまったらもう仕方が無いんです。

あのときああしておけばよかったなんて思っても、病気も貧乏も無くなったりはしません。

あぁ、俺は・私はこういうことになる星めぐりだったんだなぁと腹を括る。

諦めてしまったらそこで終わり。

何度も言いますが、違います。それは世間のペテンです。

このペテンは、
現状に不満で打開策を探ることと現状を冷静に判断して認識することを同一次元に置くことにより生じる錯覚を利用しています。

病気は嫌だ、貧乏は嫌だといくら思っても、現状の病気や貧困は覆すことは不可能です。

しかし、諦めたら終わりだというペテンにかかると、
人はその“病気である”という現状を常に“忌むべき状況”として意識し続けることになります。

勿論、状況としては“忌むべき”ものではあるのですが、その“忌むべき”ものを忌み続けたからといって、
その状況が早期に終結するという帰結は絶対に導かれません。

こんな忌むべき状況は早く打開せねばならないと思ったって、
打開されるまでは打開されない状況が続くのだという現状をまず認識する。

その「認識」こそが寒殺熱殺の“殺”であり、火自ずから凉しの“凉し”です。

諦めたら終わるのではなく、明らめから始まります。

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# by inunoyu | 2010-06-14 16:45

火とは、涼とは。その弐

続きです。前回のおさらい。

今、苦しんでいる人達の“火”は、おそらく「貧困」なのでしょう。と書いた前回ですが

それだけでもないですね、もうひとつ、やまいという「火」も多そうです。

ここでいう“火”とは、現状に対する不平不満ですから、“火種”はもっと多いでしょう。

さて、それらの“火”をどう“涼し”とするか。

まさか、この期に及んで、店主がその“火”を“凉し”に変える方法を書くとお思いの方はいないでしょう(笑)。

火が涼しくなるわけなどないことは既に書いた通りです。

その火に焼かれて同化するしか道はなし。

同化してこそ、そこに“涼し”が見えてきます。

凉しは、“火”の否定ではないのです。

こんなこと書いてると、病気に苦しんでいる方からは絶対言われそうです。

お前は今健康だからそんなことが言えるんだ、と。

健康だからこそ、それが失われる時の覚悟を思い定める。

病気の“苦しみ”とは、病気の否定がその本質だと気づけるか否か。

なってからでは気づけないのなら、なる前に覚悟する。

それが「凉し」に至る近道だと思っています。

まだ続きます。

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# by inunoyu | 2010-06-13 22:35

火とは、涼とは。

また続きです。

前回の「涼し」。そして、それに対応する「火」。

“火”を、おのずから“涼し”とする現状認識。

おそらく、世間のペテンに晒されていると、“火”は火としか認識ができないと思います。

“火”に打ち勝とう、火など蹴散らしてしまえ、そういう思考が世間のペテン。

それに対して、寒殺・熱殺というのは、その寒や熱になりきって一体となり同化してしまえばよいという考え方。

同化というと、「我慢」という連想をしてしまいそうですが、そうではありません。

これも、例が不適切かもしれませんが、真冬のスキーや真夏の海水浴を思ってください。

スキーや海水浴は、冬の寒さ、夏の暑さをそれと一体となって認め、それに同化しないとできません。

「火」が、そんなかわいくないのが今の世の中。

今、苦しんでいる人達の“火”は、おそらく「貧困」なのでしょう。

では、その“火”をどう“凉し”とするか。

続きます。

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# by inunoyu | 2010-06-11 22:44

自ずからという認識

さて、先に進みます。

よく使われますが、「心頭滅却すれば、火もまた凉し」というフレーズがあります。

見つけて驚いたのですが、“そう言った本人は焼死した”と揚げ足を取ったつもりのフレーズをネットで見つけました。

完全なる勘違い。

本当に火が涼しくなって、紅蓮の炎の中でも平気でいられる神通力でも想像していたのでしょうか。

この言葉、本来は、「火おのずから涼し」です。

日本では、戦国の時代に弾圧を受けて寺ごと火をかけられた禅宗の僧侶の言葉として紹介されていますが、

元々の出典は、以前紹介した『碧巌録』の第四三則「洞山無寒暑」の評唱にも少し出てくる、杜荀の詩。

三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山水
滅却心頭火自涼

さんぷくもんとざしていちのうをきる
かねてしょうちくのぼうろうにかげをするなし
あんぜんかならずしもさんすいをもちいず
しんとうめっきゃくすればひおのずからすずし

から来ています。

つまり、熱殺のことです。

暑さと一体となり、それをまるのまま認めてしまえ、ということだと店主は解釈しています。

ここで重要なのは、暑いを、「暑い」と認めるということです。

暑いのを、涼しいぞ言って痩せ我慢するのではなく、暑いを暑いと認めて、その中での自己を認識する、

その冷静な事実認識を「涼し」と表現しているにほかなりません。

なので、心頭滅却したからといって、暑さが涼しくなるわけでもなく、火の中で生きていられるわけでもないのです。

前述の日本の禅僧でいえば、おそらく彼は劫火の中で苦しくてのたうったことでしょう。

それゃそうです、生きたまま焼かれるのですから。

のたうちながらも、その焼き討ちを仕掛けた武将に命乞いをせずに死んでいく。

その認識と覚悟が、「滅却心頭火自涼」と彼に言わせたに過ぎません。


心頭滅却すれば火もまた涼しだ。暑くてもネクタイをちゃんと締めてるのがビジネスマンだぞ

なんて言う上司は心底馬鹿にしてやりましょう。

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# by inunoyu | 2010-06-10 23:02

立つか立たぬか

さて、話の続きというかなんというか。

続いているといえば、このブログ、新年からは一貫して続いているつもりなのですが。

大前提の確認です。

店主のこのブログ、世間に掉さして頑張っている人に“それは間違っているぞ”なんて意見したくて書いているのではありません。

この流れ、なんかおかしいよな、変だよなと思っているのに、みんなこの流れに乗っているから自分も付いて行ってるけど、

もっと違う切り口からこれを見てみてもいいんじゃないのかな、と漠然と思っている人への一つの「提案」に過ぎません。

勿論、店主はブログに書いた通りのことを考えて生きております。

自分の人生は、努力して自ら切り開いていくものだ、と思っている方は、どうぞそのままお進みください。

ただ、進めなくなったとき、こういう選択肢もあるのだということを思い出すことは、
なにかの役に立つかもしれません。

立たないといいとお思いかもしれませんが。


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# by inunoyu | 2010-06-10 21:35

一巡

さて、また続きます。

前回、シナリオがわからないからといって、勝手にシナリオを作らないと書きましたが、訂正します。

別に、自分なりの自分の一生のシナリオを創作したって構わないと思い直してます。

なぜなら、そんなことしたって、「世界劇場」の長大なシナリオにはほとんど影響がないからです。

もしかしたら、世界劇場の中で、人生の意味を見つけようとして悪戦苦闘するのが、
その人の役回りなんだと思えばなんのことはありません。

そんな悪戦苦闘なんて、しようがしなかろうがどっちでも無意味なら、したい人はすればいいということに気づきました。

わざわざ、“無意味なんだよ”なんて言ってまわることもないのかな、なんて気がしてきました。

というか、もともと世間から落伍するというのはそういうことでしたし。

思考の一巡ですね(笑)。

一巡しても、後戻りではなさそうです。

コブクロの「彼方へ」みたいですが。

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# by inunoyu | 2010-06-09 21:17

人生は無意味

さて、続きです。

宇宙の真理など人間にはわからない。ただひとつだけわかることは、それがわからないということがわかることだけ。

つまり、わからないなら全てまかせてしまおうということです。

なにせ、シナリオがわからないのですから。ただし、わからないからといって、自分で勝手にシナリオを作らないということ。

主役か脇役かも、良い役なのか悪役なのかもわからないので今の自分の境遇をただ演じるだけ。

勝手に主役になろうとしたり、良い役の方に回ろうとあれこれ考えない。

同時に、自分以外の役者にやれ大根だなんだと口を出したり批判したりなどすることもいけません。

彼らは彼らでそういう役回りなのだと思い定める。そして、自分に対する他者からの批判も馬耳東風に伏す。

世界劇場で演じられる長大な芝居の中では、そのシナリオがあまりに広大で長大なために、
役者ひとりひとりにはその役の意味がわからない。わかろうとしても意味が無い。だってわからないんですから。

そういう意味では、「人生は無意味」ということになります。

まだ続きます。


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# by inunoyu | 2010-06-08 12:03

世界劇場の入り口

前回の続き。

そう、「世界劇場」のお話。

近代日本の、「人は、努力し、頑張った分だけ成長して成功し、幸せを手にすることができる」というペテンの対極。

あえて「近代」と書いた理由は、かつて存在した日本の身分制度を前提にしています。

上記のペテンが成立するのは、明治以降です。それ以前は士農工商という身分制度が江戸時代にはありました。

すなわち、人はいくら努力しても、その身分を越える成長・成功はほぼ不可能だったわけです。

豪農や豪商がお金に物を言わせて士分を買い取るなんていう話はあったかもしれませんが、
それだってせいぜいその末席に加えられて“あぁ、ありがたや”程度のお話で、そこから先の話など到底無理だったでしょう。

話を戻しますが、そういう時代もあったわけでして。

そう考えると、そういう時代に生まれるか、それともこの平成の世に生まれるかなど、ほとんど“めぐりあわせ”に過ぎません。

前回書いた、「人の一生は本人の努力次第でどうにでもなるんだ」というパラクラフが、
時代を超えた普遍の文言でないというのがこれではっきりわかります。

では、そんなペテンに騙されない、普遍の原理とは何でしょう。

それは、「普遍の原理などない、あったとしても人間にはわからない」という原理に他なりません。

これが、ソクラテスの「無知の知」という結論です。

神の思し召しでも宇宙の真理でもなんでもいいですが、そんなもの人間にはわかりません。

ただ、“そんなもんわかるもんか”ということがわかるだけです。

これが前提にないと、世界劇場には入れません。続きます。

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# by inunoyu | 2010-06-07 21:53

世界劇場

今日、東京新聞に、同志社の教授が与党のこの8か月のドタバタを、観劇になぞらえて面白く書いていました。

不謹慎だなんて思った向きもありそうですが、
そもそも、世界を「大きな芝居の舞台」と捉える観念は以前からあったようです。

いわゆる、「世界劇場」という考え方です。

人間は神にあやつられてそれぞれの役を演じる役者であり、世界はその舞台であるという観念です。

ヨーロッパの考えですから、神様が出てきて宗教話になってしまいますが、

別にこれは「運命」とか「めぐりあわせ」とかいう言葉に置き換えても話の筋は通りそうです。

要するに、人知を超えたものであれば、各々の信心にしたがって適当なものが代入可能でしょう。

そう、それがポイントなんです。

「世界劇場のシナリオは人知を超えている」という前提に至ることが重要。

「人の一生は本人の努力次第でどうにでもなるんだ」という考え方の否定。

何言ってるんだ、努力しなくちゃ成功なんかしないだろうという反論がありそうですが、

その反論には、努力せずに成功することと、努力したのに成功しなかったという事象が考慮されていません。

前者を“たまたま”、後者を“努力が足りないから”と片付けるのは、少し無理がありすぎです。

百歩譲って、努力して成功するには、そういう環境の場所・時代に生まれる必要があります。

眠いので続きます。

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# by inunoyu | 2010-06-06 23:13

今日のニュースの餌食

さて、今日だからこそ、ちょっと書いておきましょうか。

失望について。

今日、失望したと思ったり言ったり書いたり、
また、そういう意見を読んだり見たり聞いたりした方は多いのでしょう。

では、その「失望」の原因は何でしょう。

えっ、あいつが駄目だからですって?いいえ、違います。

失望の原因は、「期待したから」です。

失望の前提には期待が存在します。

怒ったり、イライラしたり、がっかりしたりする、その対象は、確かに「他人」かもしれませんが、

あなたが、彼に期待して、それが裏切られたからそう思った「だけ」に過ぎません。

あなたが裏切られたのは、「彼」にではなく、あなたが彼に対して抱いた、あなた自身の彼に対する「期待」です。

繰返します、あなたを裏切ったのは、彼を対象としてあなたが勝手に作り上げた、あなた自身の「思い」です。

それに気づかないと、あなたは、マスコミを始めとした、世間のペテンの餌食でしょう。

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# by inunoyu | 2010-06-02 22:21

「殺」の本質

寒時には己を寒殺し、熱時には己を熱殺する。これが“無寒暑”の奥義。

いるでしょうねぇ、現実逃避だと非難する人。

寒時の「寒」や熱時の「熱」を、その“知恵”で克服してきたのが人間なんだ。
仮に“寒暑”が悩みや苦しみの象徴なのなら、その悩みや苦しみを乗り越えようと努力するのもまた人間の知恵ではないか、と。

店主に言わせれば、悩みや苦しみを乗り越えようとする努力こそが現実逃避だと思っています。

今そこにある悩みや苦しみを“そこにあるべきではない”と否定して、それらがそこにない、別の現実を築こうとする、
それこそ現実の否定、現実からの逃避にほかなりません。

じゃぁ、お前は、今在る悩みや苦しみを甘んじて受けろというのか?と言われそうです。

別にそうは言っていません。要は、“どうでもいい”んです。

その、今ある悩みや苦しみとの“折り合いの付け方”は、実は二通りしかありません。

容認か否定か、この二つ。

例えが適当かどうかあまり自信がありませんが、「嫌い」の反対は「好き」ではありません。
また、「好き」の反対も「嫌い」ではありません。

これらの言葉の、本当の反対は「無関心」です。つまりどうでもいいということ。

以前、「苦」について書きましたが、対象が、自分の思うがままにならないから苦しいんです。
その前提は“思うがままにしたい”という欲求の存在。

そこに着目して、思うがままにしたいという欲求を持たないようにする。

それが、“寒殺・熱殺”という言葉の本質です。

こうあるべきだ、こうあって欲しい。
そんな欲求が、今そこにある(と思っている)悩みや苦しみを自ら作り出しているという認識を持つ。

それで、少なくとも日本人の抱えている悩みや苦しみはほとんどが消えるのではないかと勝手に思っています。

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# by inunoyu | 2010-05-30 10:42

無いから在り、在るから無い。

さて、前回の書きっ放しの漢文。

コピーして持ってきました。これ。

僧云、寒暑到來、如何廻避(寒暑到來、如何が廻避せん)

師云、何不向無寒暑處去(何ぞ無寒暑の處に向つて去らざる)

僧云、如何是無寒暑處(如何ならんか是れ無寒暑處)

師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨(寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す)

まず、補足。ここに言う「寒暑」とは、ただ暑い寒いという意味では決してありません。

それは、自分ではどうにもならないことを象徴していると思っていいと思います。

なので、これは、「今の自分の悩みや苦しみ」という解釈でいいかと。

そんな、マジな問いに対しての返答は、実に人を馬鹿にしています。

超訳すれば、「なら、悩みや苦しみの無いとこに行けばいいじゃん」と言われてしまうわけです。

もともと、質問者は、“寒暑(=悩み・苦しみ)”の“回避方法”を尋ねているのに、その“寒暑”自体から“去れ”というわけです。

おそらく、この返答は質問者の予想の埒外だったのでしょう。

そりゃそうです。普通、悩みや苦しみは、それが生じてしまったら、それらが“ある”という前提で
それらに対する対処を人間は考えます。

普通聞きますよね、「おいおい、オレは今、悩みや苦しみからの逃げ方を聞いてるんだよ。
悩みや苦しみは今ここにあるんだから、無くすなんてできるわけないだろうが。お前馬鹿か?」

そしたら、その返答はこうです。

「無いとは、在ることなんだよ」と。

寒時には己を寒殺し、熱時には己を熱殺するなんて言うと禅問答のような感じですが(禅問答なんですが、笑)、

寒暑を、無くしたいと思うから“在る”のであって、在ると思い定めれば“無い”のと同じ。

はい、みなさんでどうぞ。

これでいいのだ。


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# by inunoyu | 2010-05-28 23:01

無寒暑

他者の“オンリーワン”を認め、相手を自分の思うがままにしようとしなければ、怒ったりイライラしたりしなくなる、
と書いた前回でしたが、ここでもその最終形は「これでいいのだ」となります。

また、どんな自分でも、どんな相手でも認めるということは、「どうでもいい」のと同じです。

ただし、これは「無関心」とは違います。無関心はどちらでも自分には関係ないということですが、
「どうでもいい」というのはどちらに転んでも良いとする態度です。どちらも認めてしまうわけです。

核兵器があってもなくても無関心なのではなく、あるならある世界で生きる。
“核がある”という事実を、“私は認めない、許さない”と言ってみたって、“ある”という現実は消えません。
上の「核」は「基地」に置換が可能でしょう。

ただ、店主は核や基地をなくす必要はないなどとは言っていません。なければないのがいいに決っています。
しかし、それをなくそうとしてもなくならない、現実が思うがままにならない、
そこに「苦」や「怒」は生じるのだという認識は必要でしょう。

僧云、寒暑到來、如何廻避(寒暑到來、如何が廻避せん)

師云、何不向無寒暑處去(何ぞ無寒暑の處に向つて去らざる)

僧云、如何是無寒暑處(如何ならんか是れ無寒暑處)

師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨(寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す)

『碧巌録』第四三則「洞山無寒暑」




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# by inunoyu | 2010-05-24 11:16

怒りは愚かさの表明

前回、自分がオンリーワンなら他者のオンリーワンも認めるべきだと書きました。

自分は自分でいい。他人も他人でいい。

そうすれば、そこからは自分はこうでなくてはならない、他人はこうでなくてはならないという思いは生まれません。

これは、世間のペテンにかからないために、結構大切なことです。

何かに対して怒ったりイライラしたりするのは、相手のせいではなく、自分の気持ち次第でどうにでもなるんだと気づく。

少し考えてみればすぐわかることなのですが、自分が怒ったりイライラしないように相手を変えるより、
その相手に怒ったりイライラしないように自分を変える方が絶対早くて確実です。

よく、相手を心配したり成長して欲しいから怒るんだ、なんて言う親や上司がいますが、そんなのはペテンです。

その“心配”や“成長”という言葉は、
相手を自分の支配下に置き、自分の思うがままにしようとしていることを正当化しようとするための詭弁に過ぎません。

まぁ、上司は置いておいて、親の場合、自分の生き方や価値観を持つ人間のコピーを作るのが教育だ、
なんて思っているふしがあるのがいるので困ったものです。

怒ったりイライラしたりしている人間は、自分の馬鹿さ加減を世の中に向かって表明しているだけだと気づきましょう。


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# by inunoyu | 2010-05-23 17:20

深化

この間、「草食系」の話を書きましたが、そういう人達の登場や、その人達に特徴的な趣味や嗜好を含めて考えてみると、
最近の日本は「価値観の多様化」が進んでいると感じています。

いいことです。

多様性とか、多様化という流れは、文明の成熟と比例すると店主は感じています。

多様化の反対は「一元化」。

その最たるものは全体主義でしょう。大日本帝国時代などはその典型ですね。

もともと、日本人は“右に倣え”が大好きで、スタンダードを“人並み”などと表現するのはその表れ。

あなたとわたしは違っていていいんだ。違っていて当たり前なんだ。という意識は、
これからもっと進んでいくといいなと思っています。

プロ野球の視聴率低下による地上波からの撤退など、良い例です。

野球に関心がなくてもいいじゃないか、と言える時代が来たということです。

テレビも衰退していくでしょう。

この“衰退”の面白いところは、それが“何か”にとって換わられたという現象が伴っていないというところです。

別に、野球がサッカーにとって換わられたわけでもなく、テレビがネットに換わられたわけでもありません。

みんな、これまで“右に倣え”だったものが左にいったり上を向いたり下を見たりする。

そして、それが自分に合っているならそれでいいと感じ、回りもそれを異端視したり排除しようと思わない。

これこそが「文明の深化」に違いありません。

この深化をもう1歩進めると、

「他者に憤らない、怒らない社会」ではないかと思っています。

自分はこう思うのに、何故そうならならないのだと憤らない。

もっとこうあるべきだ、などというのは自分を含めたある一定の塊の人間の考えだけであって、
その意見が最善であるなどというのはものの見方の一側面に過ぎないのだと理解する。

「オンリーワン」が今の自分をそのまま全て認めるという理念なら、自分と異なる他者の「オンリーワン」も認める。

理念として認識するならば当然の帰結です。

地上波でプロ野球がないと言って怒らない。
最近のテレビはつまらないと言って怒らない。
民主党は情けないと言って怒らない。
谷亮子は政治とスポーツを甘く見ていると言って怒らない。

あなたもわたしも、みんな、オンリーワン。


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# by inunoyu | 2010-05-19 21:49

滑稽な免罪符

また、東京新聞の「筆洗」を俎上に載せます。本日掲載分。
一九六四年、一人の女性がニューヨークの自宅アパート前で暴漢に刺殺された▼後に報道されたところだと、その様子を実に三十八人ものアパートの住人が部屋の窓などから目撃していたのに、襲われてから死亡するまで半時間以上もの間、誰一人救助しようとせず、警察に通報さえしなかったのだという▼「こんなに目撃者がいるのだから誰かが救助や通報をするだろう」といった心理が働いたためと考えられている。被害者の名から「キティ・ジェノヴィーズ事件」と呼ばれる。心理学でいう、「傍観者効果」の典型例として知られる▼緊急事態を前にしたのが自分だけなら、対応は自分の責任になるが、大勢いると責任が拡散する。むしろ目撃者が多いほど、援助行動が抑制されやすくなることは心理学の実験でも確かめられているそうだ▼心配になるのは地球規模の“緊急事態”への対応である。例えば生物多様性の保護。日本を含む多様性条約の締約国は、八年前、「二〇一〇年までに多様性の損失速度を顕著に減速させる」との国際目標を決めたが、条約事務局は最近、「目標達成は失敗」と結論した▼地球温暖化防止もしかり、“目撃者”は三十八人どころか人類全部ともいえる。これほど「傍観者効果」が働きやすい状況もあるまい。地球や生き物の行く末を、あの気の毒な女性の最期のようにはしたくない。

こんな記事、紙の無駄遣い以外の何物でもありません。こんな中途半端で終わらせて、一体何を伝えたいのか。

「地球温暖化防止のために、傍観者ではなく当事者としての意識を持とう」なんて趣旨なら、そんなこと今時小学生でも言えます。

だいたい、人間、今の地球で現代的生活を営めば、二酸化炭素を排出するようなシステムになっています。

まさか、今日から自動車に乗るなとでもいうのでしょうか。火力発電を停止せよとでも?

言っておきますが、地球や生き物の行く末がどうかなど、今を生きている我々に判るわけないんです。

地球温暖化に掉さす行為をするときに罪悪感を感じようと感じまいと、やっていることが同じなら無意味。

温暖化を気にして車に乗るのをやめたって、きっとどこかであなたは呼吸以外でも二酸化炭素を出す行為に加担しています。
間違いありません。

人間の経済活動におけるエネルギーの取り出し方が劇的に変わるまでは、今の流れでは個人レベルの自重など無意味です。

意味があるというのなら、それは、そうすることによって自分は傍観者ではなく当事者としての意識を持っているんだぞという、
滑稽な免罪符がわりでしかありません。実際は“免罪”などちっともされていないのは言うまでもありませんが。

以前流行った、「マイ箸」と同じ。

無意味な妄想を新聞はばら撒かないように。


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# by inunoyu | 2010-05-13 17:11

草食日本

希望を持って生きるというのは、実は後ろ向きの思考だと思っています。

今に不満を持ち、それを受け入れたくない。だから希望を持つ。

馬鹿みたいな贅沢さえしなければ今の状況で充分なのに、もっと先へ、もっと上へと希望を持つ。

正確には、持たないといけないよと、世間に騙されているわけですが。

しかし、近年、そういう上昇志向を否定する、新たな若い人達も生まれてきています。

その典型が、いわゆる「草食系」と言われている人達です。

いいことです。店主大賛成です。

そんな人間ばかり増えたら日本は駄目になるなんて意見もあるようですが、それで駄目になるなら
今の日本なんて駄目になってしまえばいいんです。別に、駄目になったとしてもこれが初めてではありません。

ポツダム宣言を日本が無条件で受諾したとき、大日本帝国は駄目になりました。
その後、戦後日本は新しい価値観でここまでやってきたわけですが、
その価値観がさらに新しい人達に否定されるのを、戦後日本に生きた人達は理解できずに戸惑っているだけです。

なので、仮に駄目になったとしても、そのあとまた新しい形の日本がきっと生まれてきます。

しかし、今の草食系の若者が日本の次の世代を築いていくなんて思ったら大間違いです。
そういう思考こそが戦後日本の“俺たちが日本を担っていくんだ”的価値観の象徴。

国民は国家を担うものだなんていうのは世間のペテンだと見抜けない人は、
これからの草食系日本は駄目な日本にしか見えずに一生を終えるでしょう。

合掌

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# by inunoyu | 2010-05-12 16:49

あなたの努力はどれですか

前回、少し先に進みすぎて自分以外の関係にまで言及しましたが、少し話を戻します。

繰返します。自分の努力が努力として効力を持つのは、自分ひとりにその努力の効力が及ぶ範囲に限られます。
更に、その努力が物理的・科学的に効力の及ぶものという条件も付け加えておきましょう。

痩せたい・禁煙したい、そういう類。でも、ハゲを戻したい(笑)・死にたくないというのは
後者に反するので無理。

病気を治したいというのは罹った病気によりましょう。

では、どんな努力が無意味な努力なのでしょうか。もうわかりますよね。

簡単に言ってしまえば、「人の心を動かしたい」、という努力。

これが関わる努力が総じてそれに当てはまります。

人に好かれたい、大事にされたい、評価されたい。出世したい、尊敬されたい。

お金を儲けたいはどうなのでしょうか?上記の結果とも考えられますし、上記が手段とも思えます。

世界人類が幸せになりますようになんていうのはどうでしょう。

世界人類の幸せが多様であることを鑑みると、ペテンに近いでしょう。

どちらにしても相手がいりましょう。

つまり、他者の心を自分の都合の良いように操ろうという努力。

それが無意味な努力であり、世間が仕掛けるペテンの努力。

さて、あなたの今している努力を当てはめてみてください。どうですか。


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# by inunoyu | 2010-05-10 22:05

神奈川県平塚市にある、   「Dog Salon 犬乃湯」店主の ひとりごと。


by inunoyu
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