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by inunoyu
| 2011-02-25 12:48
| お知らせ
二回ほど大相撲について書きましたが、店主はいつものごとく本気で怒っても心配もしていません。
相撲協会が自滅の道を歩もうと、そもそも大相撲なんて無くなったってちっとも困りません。
ただ、けちをつけて遊んでいるだけです。
今回、案の定と言うかなんというか、放送中止が決った後、
「大相撲中継を待ち望んでいるのは自分の意見を声高に言わない昔からのファンのお年寄りたちである。
NHKは、そういうお年寄りの『声なき声』をもっと忖度するべきである」という意見を言う人がいました。
まぁ、わからなくはありませんが、意見とは表明しなければないのと一緒という言い方もできますし。
そもそも、なぜお年寄りは意見を表明しないと言えるのか。中には年をとっても新聞に毎日のように
投書をする人もいるばず。
加齢による能力の低下で意見の表明ができないなら、その“持っている”意見自体が怪しいという可能性もあります。
ただ相撲が昔から好きで、いつもやっているのに今回放送がなくて淋しい。
というお年寄りの感情が果たして“忖度”するに値する意見と言えるのか。
少し厳しいようですが、そういうアプローチからの反論に対抗できなければ、上記の意見はただの感情論です。
まぁ、NHKの本音は、どっちをとれば受信料の支払拒否が少ないか。
今回は、大好きな相撲の放送がないのはけしからんと言って支払いを拒否するのはどうも分が悪い。
問題は放送の再開時でしょう。
これでNHKは、相撲協会が抜本的な改革に着手して、文科省やマスコミがそれを支持し、
世論も歓迎するという流れが生まれるまでは放送の再開ができなくなったとも言えます。
名古屋場所の頃と状況はなんの変化もないのに、なぜ放送が再開されたのかと聞かれて、
「放送を望む声が多くなったから」だけではもう済まないでしょう。
まだまだ面白そうです、この問題。
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相撲協会が自滅の道を歩もうと、そもそも大相撲なんて無くなったってちっとも困りません。
ただ、けちをつけて遊んでいるだけです。
今回、案の定と言うかなんというか、放送中止が決った後、
「大相撲中継を待ち望んでいるのは自分の意見を声高に言わない昔からのファンのお年寄りたちである。
NHKは、そういうお年寄りの『声なき声』をもっと忖度するべきである」という意見を言う人がいました。
まぁ、わからなくはありませんが、意見とは表明しなければないのと一緒という言い方もできますし。
そもそも、なぜお年寄りは意見を表明しないと言えるのか。中には年をとっても新聞に毎日のように
投書をする人もいるばず。
加齢による能力の低下で意見の表明ができないなら、その“持っている”意見自体が怪しいという可能性もあります。
ただ相撲が昔から好きで、いつもやっているのに今回放送がなくて淋しい。
というお年寄りの感情が果たして“忖度”するに値する意見と言えるのか。
少し厳しいようですが、そういうアプローチからの反論に対抗できなければ、上記の意見はただの感情論です。
まぁ、NHKの本音は、どっちをとれば受信料の支払拒否が少ないか。
今回は、大好きな相撲の放送がないのはけしからんと言って支払いを拒否するのはどうも分が悪い。
問題は放送の再開時でしょう。
これでNHKは、相撲協会が抜本的な改革に着手して、文科省やマスコミがそれを支持し、
世論も歓迎するという流れが生まれるまでは放送の再開ができなくなったとも言えます。
名古屋場所の頃と状況はなんの変化もないのに、なぜ放送が再開されたのかと聞かれて、
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by inunoyu
| 2010-07-09 12:52
相撲協会の、力士出身の理事を「まわし組」というらしい。
防衛省の「制服組」あたりからの拝借なんでしょうね。
そいつらが、元魁傑の放駒親方を理事長代行に推したらしい。
あまりの現状認識のお粗末さに失笑した。
あくまでも、彼らの頭の中では、「このままでは、角界が役人(が送り込む部外者)にいいようにされてしまう」
というのが危惧されているに過ぎないというわけ。
もはや世論が、
相撲を日本の伝統文化として存続させるには、外部の人間による冷静で公平な視点からの改革に拠らざるを得ない、
という段階にあるという認識の欠如。
しかし、この認識には、
行政が日本の伝統文化としての「大相撲」を切り捨てられないという認識はしっかり内包されているのが小賢しいところ。
お前ら役人は、結局は俺達無しでは大相撲の維持継承はできないぞという事実はちゃんと押さえている。
この、「日本の伝統文化」を担っている以上、文科省は相撲協会の「公益法人」格を剥奪して、
プロレスと同じように会社組織で勝手にやれと言えるわけなどないとわかっている。
しかし、世論が、相撲がそれとして維持できるなら、運営組織が「まわし組」であるか否かは問わないという側にある以上、
彼らの抵抗は国民の支持を得られないのは明白。
ことは、大相撲をどうするかであり、相撲協会をどうするかではないのである。
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そいつらが、元魁傑の放駒親方を理事長代行に推したらしい。
あまりの現状認識のお粗末さに失笑した。
あくまでも、彼らの頭の中では、「このままでは、角界が役人(が送り込む部外者)にいいようにされてしまう」
というのが危惧されているに過ぎないというわけ。
もはや世論が、
相撲を日本の伝統文化として存続させるには、外部の人間による冷静で公平な視点からの改革に拠らざるを得ない、
という段階にあるという認識の欠如。
しかし、この認識には、
行政が日本の伝統文化としての「大相撲」を切り捨てられないという認識はしっかり内包されているのが小賢しいところ。
お前ら役人は、結局は俺達無しでは大相撲の維持継承はできないぞという事実はちゃんと押さえている。
この、「日本の伝統文化」を担っている以上、文科省は相撲協会の「公益法人」格を剥奪して、
プロレスと同じように会社組織で勝手にやれと言えるわけなどないとわかっている。
しかし、世論が、相撲がそれとして維持できるなら、運営組織が「まわし組」であるか否かは問わないという側にある以上、
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by inunoyu
| 2010-07-05 12:07
大相撲についても書いておきます。
ツィッターで書いていたのですが、あちらは半分営業が噛んでいるので、つい自主規制してしまいます。
この問題の根本は、相撲とは何かということよりも、「相撲協会」とは何かということに行き着きます。
よく、大相撲はファンの信頼を裏切ったという表現を見聞きしますが、そもそも、そのファンという人達は、
大相撲の何を信頼していたと言うのでしょう。
大相撲の前身は、神社仏閣の門前で行われた“見世物”興業です。的屋や香具師の類と変わりません。
当然、賭博ややくざとの付き合いが付き纏います。
そこからは、“ファン”=ひいき筋という図式は導けても、“信頼”というファクターは導かれません。
では、マスコミがよく使う、今回大相撲が裏切ったと言われる、ファンの信頼とは何で、どこから来たのか。
まず、“何か”というのはわかるでしょう。つまり、「クリーンさ」ということ。
しかし、今回の問題で裏切られた信頼は、「競技としてのクリーンさ」ではありません。
角界の体質としてのクリーンさということになります。
では、この「角界の信頼」の根拠は何だったのか。
それは、大相撲を維持管理する「財団法人日本相撲協会」が持つ、「公益法人」という資格です。
財団法人の設立趣旨を謳う、日本相撲協会の寄付行為の第3条には、その目的として、
「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」とあります。
もってその目的をして、監督官庁である文科省から“公益に資する法人”であるとの認定を受け、
法人税・所得税その他の優遇を受けているわけです。
もともと、興業主として香具師と変わらない相撲協会が、相撲を「国技」と自称し、相撲の語尾に「道」なんて付けて、
日本の伝統的文化という“公益”を守る、高尚で崇高な団体でございます。なんていって、
税金を掠め始めたことから生じた問題に他なりません。
そろそろ見えてきました。この問題の本質。
角界の内部は以前の的屋や香具師のころと何も変わっていないのに、
外面だけ公益を担う紳士面をして税金逃れをしていたつけが回って来たというところでしょう。
ですから、この「信頼」とは、厳密にはファンのものではありません。
ファンは、別に面白い相撲を見せてもらえば、おすもうさんの私生活のちょっとした「賭け事」なんてどうでもいいはず。
逆に、真っ当なとこになんていられない性分だから相撲取りやってるんだくらいのほうがいいくらい。
むしろ、その体質を“面の皮”に合わせて欲しいのは、
その面の皮に紳士としての認定を与えた文科省を筆頭とした「行政」です。
それと、相撲協会がその面の皮を付けてきたからこそ付き合っている、優等生のNHK。
つまり、この問題、日本相撲協会と、文科省をはじめとする行政との駆け引きに過ぎません。
文科省としては、相撲が日本の伝統的な文化としてその重要性を認識し、だからこそその維持管理と引き換えに公益法人としての認定とそれに伴う優遇を認めてきたのです。
しかし、その相手である相撲協会が、未だにかつての香具師の類と変わらぬ体質を有していて、
行政が認めて優遇されてきた税金が、下手をしたらやくざに流れていた可能性すらあるかもしれない。それはまずい。
今回の問題を奇貨として、相撲協会を行政がコントロールできる、健全で透明性の高い財団として再構築したい。
それが真相。
所詮、真っ当な世の中からはみ出して、「おすもうさん」だけやってきた親方衆が、
文科省の繰り出す有識者の論理的攻撃に叶うはずも無く。
最後に、行政と一緒に相撲協会にけしからんと怒っているひと。
相撲協会が、本来はそんなやくざな団体だったにもかかわらず、
公益法人なのをいいことに税の優遇措置を受けていたということに対する怒りならいいですが。
どうなんでしょうねぇ。
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この問題の根本は、相撲とは何かということよりも、「相撲協会」とは何かということに行き着きます。
よく、大相撲はファンの信頼を裏切ったという表現を見聞きしますが、そもそも、そのファンという人達は、
大相撲の何を信頼していたと言うのでしょう。
大相撲の前身は、神社仏閣の門前で行われた“見世物”興業です。的屋や香具師の類と変わりません。
当然、賭博ややくざとの付き合いが付き纏います。
そこからは、“ファン”=ひいき筋という図式は導けても、“信頼”というファクターは導かれません。
では、マスコミがよく使う、今回大相撲が裏切ったと言われる、ファンの信頼とは何で、どこから来たのか。
まず、“何か”というのはわかるでしょう。つまり、「クリーンさ」ということ。
しかし、今回の問題で裏切られた信頼は、「競技としてのクリーンさ」ではありません。
角界の体質としてのクリーンさということになります。
では、この「角界の信頼」の根拠は何だったのか。
それは、大相撲を維持管理する「財団法人日本相撲協会」が持つ、「公益法人」という資格です。
財団法人の設立趣旨を謳う、日本相撲協会の寄付行為の第3条には、その目的として、
「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」とあります。
もってその目的をして、監督官庁である文科省から“公益に資する法人”であるとの認定を受け、
法人税・所得税その他の優遇を受けているわけです。
もともと、興業主として香具師と変わらない相撲協会が、相撲を「国技」と自称し、相撲の語尾に「道」なんて付けて、
日本の伝統的文化という“公益”を守る、高尚で崇高な団体でございます。なんていって、
税金を掠め始めたことから生じた問題に他なりません。
そろそろ見えてきました。この問題の本質。
角界の内部は以前の的屋や香具師のころと何も変わっていないのに、
外面だけ公益を担う紳士面をして税金逃れをしていたつけが回って来たというところでしょう。
ですから、この「信頼」とは、厳密にはファンのものではありません。
ファンは、別に面白い相撲を見せてもらえば、おすもうさんの私生活のちょっとした「賭け事」なんてどうでもいいはず。
逆に、真っ当なとこになんていられない性分だから相撲取りやってるんだくらいのほうがいいくらい。
むしろ、その体質を“面の皮”に合わせて欲しいのは、
その面の皮に紳士としての認定を与えた文科省を筆頭とした「行政」です。
それと、相撲協会がその面の皮を付けてきたからこそ付き合っている、優等生のNHK。
つまり、この問題、日本相撲協会と、文科省をはじめとする行政との駆け引きに過ぎません。
文科省としては、相撲が日本の伝統的な文化としてその重要性を認識し、だからこそその維持管理と引き換えに公益法人としての認定とそれに伴う優遇を認めてきたのです。
しかし、その相手である相撲協会が、未だにかつての香具師の類と変わらぬ体質を有していて、
行政が認めて優遇されてきた税金が、下手をしたらやくざに流れていた可能性すらあるかもしれない。それはまずい。
今回の問題を奇貨として、相撲協会を行政がコントロールできる、健全で透明性の高い財団として再構築したい。
それが真相。
所詮、真っ当な世の中からはみ出して、「おすもうさん」だけやってきた親方衆が、
文科省の繰り出す有識者の論理的攻撃に叶うはずも無く。
最後に、行政と一緒に相撲協会にけしからんと怒っているひと。
相撲協会が、本来はそんなやくざな団体だったにもかかわらず、
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by inunoyu
| 2010-06-30 12:42
さて、サッカー終わったようです。本当はまだ終わってませんが、
ほとんどの日本人のサッカーは終わりでしょう。
つまり、サッカーに限らず、世界的大会で日本がどうであるかが注目されていただけです。
この図式はオリンピックでも顕著ですよね。特に冬季など。
リュージュでもボブスレーでもカーリングでも、その大会のときだけ、それをやっている日本人を注目する。
その大会と大会の間は全く無視。
要は、感情移入できて他人と一体“感”を共有できてカタルシスを得られれば何でもよし。
しかも、そういう姿勢をマスコミが煽る。
いえ、煽るどころか、はなから先導し、誘導する。
世間のペテンにかからないためには、まずマスコミの報道を疑ってかかること。
こういう大会があるたびに肝に銘じてます。
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ほとんどの日本人のサッカーは終わりでしょう。
つまり、サッカーに限らず、世界的大会で日本がどうであるかが注目されていただけです。
この図式はオリンピックでも顕著ですよね。特に冬季など。
リュージュでもボブスレーでもカーリングでも、その大会のときだけ、それをやっている日本人を注目する。
その大会と大会の間は全く無視。
要は、感情移入できて他人と一体“感”を共有できてカタルシスを得られれば何でもよし。
しかも、そういう姿勢をマスコミが煽る。
いえ、煽るどころか、はなから先導し、誘導する。
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by inunoyu
| 2010-06-30 11:02