無いから在り、在るから無い。
さて、前回の書きっ放しの漢文。
コピーして持ってきました。これ。
僧云、寒暑到來、如何廻避(寒暑到來、如何が廻避せん)
師云、何不向無寒暑處去(何ぞ無寒暑の處に向つて去らざる)
僧云、如何是無寒暑處(如何ならんか是れ無寒暑處)
師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨(寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す)
まず、補足。ここに言う「寒暑」とは、ただ暑い寒いという意味では決してありません。
それは、自分ではどうにもならないことを象徴していると思っていいと思います。
なので、これは、「今の自分の悩みや苦しみ」という解釈でいいかと。
そんな、マジな問いに対しての返答は、実に人を馬鹿にしています。
超訳すれば、「なら、悩みや苦しみの無いとこに行けばいいじゃん」と言われてしまうわけです。
もともと、質問者は、“寒暑(=悩み・苦しみ)”の“回避方法”を尋ねているのに、その“寒暑”自体から“去れ”というわけです。
おそらく、この返答は質問者の予想の埒外だったのでしょう。
そりゃそうです。普通、悩みや苦しみは、それが生じてしまったら、それらが“ある”という前提で
それらに対する対処を人間は考えます。
普通聞きますよね、「おいおい、オレは今、悩みや苦しみからの逃げ方を聞いてるんだよ。
悩みや苦しみは今ここにあるんだから、無くすなんてできるわけないだろうが。お前馬鹿か?」
そしたら、その返答はこうです。
「無いとは、在ることなんだよ」と。
寒時には己を寒殺し、熱時には己を熱殺するなんて言うと禅問答のような感じですが(禅問答なんですが、笑)、
寒暑を、無くしたいと思うから“在る”のであって、在ると思い定めれば“無い”のと同じ。
はい、みなさんでどうぞ。
これでいいのだ。
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僧云、寒暑到來、如何廻避(寒暑到來、如何が廻避せん)
師云、何不向無寒暑處去(何ぞ無寒暑の處に向つて去らざる)
僧云、如何是無寒暑處(如何ならんか是れ無寒暑處)
師云、寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨(寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す)
まず、補足。ここに言う「寒暑」とは、ただ暑い寒いという意味では決してありません。
それは、自分ではどうにもならないことを象徴していると思っていいと思います。
なので、これは、「今の自分の悩みや苦しみ」という解釈でいいかと。
そんな、マジな問いに対しての返答は、実に人を馬鹿にしています。
超訳すれば、「なら、悩みや苦しみの無いとこに行けばいいじゃん」と言われてしまうわけです。
もともと、質問者は、“寒暑(=悩み・苦しみ)”の“回避方法”を尋ねているのに、その“寒暑”自体から“去れ”というわけです。
おそらく、この返答は質問者の予想の埒外だったのでしょう。
そりゃそうです。普通、悩みや苦しみは、それが生じてしまったら、それらが“ある”という前提で
それらに対する対処を人間は考えます。
普通聞きますよね、「おいおい、オレは今、悩みや苦しみからの逃げ方を聞いてるんだよ。
悩みや苦しみは今ここにあるんだから、無くすなんてできるわけないだろうが。お前馬鹿か?」
そしたら、その返答はこうです。
「無いとは、在ることなんだよ」と。
寒時には己を寒殺し、熱時には己を熱殺するなんて言うと禅問答のような感じですが(禅問答なんですが、笑)、
寒暑を、無くしたいと思うから“在る”のであって、在ると思い定めれば“無い”のと同じ。
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by inunoyu
| 2010-05-28 23:01