孤独と孤独感
と、いうわけで、
本当は“繋がって”なんかいないのに、繋がって“いる”と思わせるものは、
「人と人は、本来常に繋がっていなければならない」という第一次的ペテンにかかった人に
「ほーら、あなたは誰とも繋がっていませんよ、孤独ですよ、淋しいですよ」という二次的ペテンを施し、
「さぁ、このアイテムで世界の“みんな”と繋がりましょう。」と買わされた「装置」に他なりません。
別に、その「装置」自体は単なる装置です。装置そのものにペテンなど内包はしていません。
(しかし店主は、いつの日かその装置の画面やスピーカーが、『あなたは、もう〇〇時間この装置を使用していません。それではあなたは孤独で淋しい人となってしまいます。さぁ、今すぐこのサービスで楽しい時間を始めましょう』なんてガイドされる日はそう遠くないと確信しています。)
まぁ、それはいいとして、実際こういう装置によって孤独を埋めている人は増えているのでしょう。
しかし、それは、「孤独」と「孤独感」の単なる混同です。
埋まったと感じるのは、孤独感の「感」であって、孤独本体ではありません。
ちょうど、サッカーのワールドカップを見て、「一体感」を得るのと一緒。
人と人が、決して「一体」になどなれないのと一緒で、
孤独も、それを克服できるのは孤独感のみです。
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しかし、それは、「孤独」と「孤独感」の単なる混同です。
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by inunoyu
| 2010-06-28 22:17