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「犬乃湯」店主のひとりごと

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自ずからという認識

さて、先に進みます。

よく使われますが、「心頭滅却すれば、火もまた凉し」というフレーズがあります。

見つけて驚いたのですが、“そう言った本人は焼死した”と揚げ足を取ったつもりのフレーズをネットで見つけました。

完全なる勘違い。

本当に火が涼しくなって、紅蓮の炎の中でも平気でいられる神通力でも想像していたのでしょうか。

この言葉、本来は、「火おのずから涼し」です。

日本では、戦国の時代に弾圧を受けて寺ごと火をかけられた禅宗の僧侶の言葉として紹介されていますが、

元々の出典は、以前紹介した『碧巌録』の第四三則「洞山無寒暑」の評唱にも少し出てくる、杜荀の詩。

三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山水
滅却心頭火自涼

さんぷくもんとざしていちのうをきる
かねてしょうちくのぼうろうにかげをするなし
あんぜんかならずしもさんすいをもちいず
しんとうめっきゃくすればひおのずからすずし

から来ています。

つまり、熱殺のことです。

暑さと一体となり、それをまるのまま認めてしまえ、ということだと店主は解釈しています。

ここで重要なのは、暑いを、「暑い」と認めるということです。

暑いのを、涼しいぞ言って痩せ我慢するのではなく、暑いを暑いと認めて、その中での自己を認識する、

その冷静な事実認識を「涼し」と表現しているにほかなりません。

なので、心頭滅却したからといって、暑さが涼しくなるわけでもなく、火の中で生きていられるわけでもないのです。

前述の日本の禅僧でいえば、おそらく彼は劫火の中で苦しくてのたうったことでしょう。

それゃそうです、生きたまま焼かれるのですから。

のたうちながらも、その焼き討ちを仕掛けた武将に命乞いをせずに死んでいく。

その認識と覚悟が、「滅却心頭火自涼」と彼に言わせたに過ぎません。


心頭滅却すれば火もまた涼しだ。暑くてもネクタイをちゃんと締めてるのがビジネスマンだぞ

なんて言う上司は心底馬鹿にしてやりましょう。

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# by inunoyu | 2010-06-10 23:02

立つか立たぬか

さて、話の続きというかなんというか。

続いているといえば、このブログ、新年からは一貫して続いているつもりなのですが。

大前提の確認です。

店主のこのブログ、世間に掉さして頑張っている人に“それは間違っているぞ”なんて意見したくて書いているのではありません。

この流れ、なんかおかしいよな、変だよなと思っているのに、みんなこの流れに乗っているから自分も付いて行ってるけど、

もっと違う切り口からこれを見てみてもいいんじゃないのかな、と漠然と思っている人への一つの「提案」に過ぎません。

勿論、店主はブログに書いた通りのことを考えて生きております。

自分の人生は、努力して自ら切り開いていくものだ、と思っている方は、どうぞそのままお進みください。

ただ、進めなくなったとき、こういう選択肢もあるのだということを思い出すことは、
なにかの役に立つかもしれません。

立たないといいとお思いかもしれませんが。


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# by inunoyu | 2010-06-10 21:35

一巡

さて、また続きます。

前回、シナリオがわからないからといって、勝手にシナリオを作らないと書きましたが、訂正します。

別に、自分なりの自分の一生のシナリオを創作したって構わないと思い直してます。

なぜなら、そんなことしたって、「世界劇場」の長大なシナリオにはほとんど影響がないからです。

もしかしたら、世界劇場の中で、人生の意味を見つけようとして悪戦苦闘するのが、
その人の役回りなんだと思えばなんのことはありません。

そんな悪戦苦闘なんて、しようがしなかろうがどっちでも無意味なら、したい人はすればいいということに気づきました。

わざわざ、“無意味なんだよ”なんて言ってまわることもないのかな、なんて気がしてきました。

というか、もともと世間から落伍するというのはそういうことでしたし。

思考の一巡ですね(笑)。

一巡しても、後戻りではなさそうです。

コブクロの「彼方へ」みたいですが。

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# by inunoyu | 2010-06-09 21:17

人生は無意味

さて、続きです。

宇宙の真理など人間にはわからない。ただひとつだけわかることは、それがわからないということがわかることだけ。

つまり、わからないなら全てまかせてしまおうということです。

なにせ、シナリオがわからないのですから。ただし、わからないからといって、自分で勝手にシナリオを作らないということ。

主役か脇役かも、良い役なのか悪役なのかもわからないので今の自分の境遇をただ演じるだけ。

勝手に主役になろうとしたり、良い役の方に回ろうとあれこれ考えない。

同時に、自分以外の役者にやれ大根だなんだと口を出したり批判したりなどすることもいけません。

彼らは彼らでそういう役回りなのだと思い定める。そして、自分に対する他者からの批判も馬耳東風に伏す。

世界劇場で演じられる長大な芝居の中では、そのシナリオがあまりに広大で長大なために、
役者ひとりひとりにはその役の意味がわからない。わかろうとしても意味が無い。だってわからないんですから。

そういう意味では、「人生は無意味」ということになります。

まだ続きます。


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# by inunoyu | 2010-06-08 12:03

世界劇場の入り口

前回の続き。

そう、「世界劇場」のお話。

近代日本の、「人は、努力し、頑張った分だけ成長して成功し、幸せを手にすることができる」というペテンの対極。

あえて「近代」と書いた理由は、かつて存在した日本の身分制度を前提にしています。

上記のペテンが成立するのは、明治以降です。それ以前は士農工商という身分制度が江戸時代にはありました。

すなわち、人はいくら努力しても、その身分を越える成長・成功はほぼ不可能だったわけです。

豪農や豪商がお金に物を言わせて士分を買い取るなんていう話はあったかもしれませんが、
それだってせいぜいその末席に加えられて“あぁ、ありがたや”程度のお話で、そこから先の話など到底無理だったでしょう。

話を戻しますが、そういう時代もあったわけでして。

そう考えると、そういう時代に生まれるか、それともこの平成の世に生まれるかなど、ほとんど“めぐりあわせ”に過ぎません。

前回書いた、「人の一生は本人の努力次第でどうにでもなるんだ」というパラクラフが、
時代を超えた普遍の文言でないというのがこれではっきりわかります。

では、そんなペテンに騙されない、普遍の原理とは何でしょう。

それは、「普遍の原理などない、あったとしても人間にはわからない」という原理に他なりません。

これが、ソクラテスの「無知の知」という結論です。

神の思し召しでも宇宙の真理でもなんでもいいですが、そんなもの人間にはわかりません。

ただ、“そんなもんわかるもんか”ということがわかるだけです。

これが前提にないと、世界劇場には入れません。続きます。

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# by inunoyu | 2010-06-07 21:53

神奈川県平塚市にある、   「Dog Salon 犬乃湯」店主の ひとりごと。


by inunoyu
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